令和七年小満号
2025年5月21日公開
私事ですが(私事を書くのがブログだろ!というツッコミは無しでお願いいたします)、おかげさまで、私も満52歳を迎えることができました!ありがとうございます。
30歳になった時、40歳になった時、いずれも心境の変化、身体の変化はほぼ感じることはありませでした。50歳代に突入した現在も、心境の変化はほぼないものの、体力がガタッと落ちたな、という実感があります。
現在は、夜勤のコールセンターで働いています。以前も夜勤のコールセンターは何度か経験しているのですが、それと比べ今は疲労感が強く、とくに先月末から体調も思わしくないです。それで、布団を新しくして、睡眠時間を長めに取り、食生活も改善し、今は少し回復。7月に健康診断があるので、そこで悪い結果が出ないといいのですが…。
さて、私は51歳から52歳になったということで、「51」と「52」にまつわる鉄道車両を見てきました!
日本で製造されたSL(蒸気機関車)で、もっとも有名なのは、「D51型」でしょう。「デゴイチ」の愛称でも知られていますよね。
D51型蒸気機関車は鉄道省(JR各社の前身)によって、昭和11年から20年まで、なんと1115輌も製造され、国内のSL製造数では一位。「新幹線の生みの親」と言われる島秀雄の設計で、運転の操作性、整備のしやすさから機関士や整備士からの評判もよく、今なお日本のSLの代名詞的な存在となっているのです。
このD51の1号機は、京都市の京都鉄道博物館に静態保存されていますが、「真の1号機」と言われている車輌が千葉県流山市に静態保存されているとのことで、行って見てきました。
つくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅に行きました。セントラルパークと言えばニューヨークが有名ですが、流山にもあったんですね〜\( ˆoˆ )/
駅から歩いて数分のところに、流山市総合運動公園がありました。
さまざまなスポーツ施設がある公園内に、D51の14号機がありました!
保存状態がとても良く、今にも走り出しそうな雰囲気がありました。
駅のプラットホームのような施設がありました。
ホームに上がると、さらに間近に見ることができて、迫力がありました。
「汽車製造株式會社 昭和十一年」のプレートがありました。
中に入ることはできませんでした。
D51の初期型は、煙突・給水加熱器・砂箱・蒸気溜が一体となって半流線型になっていて、その形状から「なめくじ」という愛称もあります。
D51はテンダー式蒸気機関車(炭水車が分離している形式)です。もちろん、炭水車も保存されていました。
D51の隣には、流山鉄道(今の流鉄)で昭和8年から35年まで走っていたガソリン式客車のキハ31型も保存されていました。
ところで、なんで、この14号機が「真の1号機」と言われているのでしょうか?
D51は1〜13号機が川崎車輛で、14〜23号機が汽車製造で製造されました。1号機は昭和11年3月22日に完成しましたが、なんと14号機は約1ヶ月前の2月29日に完成してしまったのです。つまり、14号機が最初に完成したD51の車輌、というわけだったのです。
現役当時の写真の看板もありました。昭和11年大阪で完成した14号機は東海道線で活躍後、昭和15年に北海道に渡り、現役引退をしたのは私が生まれた昭和48年。その後、流れに流れて今は流山に。なんちゃって(^_^*)
さて、流山でD51型蒸気機関車を見た後、西武新宿駅に行きました。
開放的な西武新宿駅のホーム。私の好きな、頭端式(櫛形)ホームです。
2番線ホームの床面に「52席の至福 乗車口」と書かれていました。
西武鉄道は、2016年から、西武新宿や池袋と西武秩父駅などを結ぶ臨時列車「西武旅するレストラン 52席の至福」号を土休日を中心に運行しています。
これは、4000系という電車を改造した4輌編成の観光電車で、全車がレストラン形式の車輌になっています。席は52席。
2番線に、「52席の至福」号が入線してきました。
窓ガラスで反射して見にくいですが、車内はステキなテーブルセッティングがされていました!
ヘッドマークには、大きく書かれた「52」の数字と、「fifiy two seats of happiness」と書かれていました。
側面には、トランプの柄をイメージしたマークが描かれていました。トランプの札の数も52(4柄×13枚)なので、それにかけているそうです。
トランプの柄を秩父の自然に見立て、スペードは「水」を、ダイヤは「紅葉」を、クローバーは「緑と至福を重ねた四つ葉」を、ハートは「お客さまと私たちの気持ちが通う空間と時間」を表しているそうです。
車体には秩父や武蔵野の風景をイメージした絵が描かれていました。